テイクアウト
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オフィス街の裏通りの路地を入った所にある一軒のカフェ。
昭和レトロな店構えの小さなカフェだが、日中はサラリーマンで賑わう。
PM8:30を回った閉店間際のこの時間は、店内にはマスターしかいない。
…と言っても、日中もマスター一人で切り盛りしているのだが。

マスターの元親が店の片付けを始めていると、カランコロンと心地良いドアベルの音が鳴り響く。
時刻はPM8:40。
決まってこの時間に訪れる男が店内に入ってきた。

「いらっしゃい。」

今夜は雪が降りそうな程に冷え込みが厳しい。
いつもはスーツを着ているだけだが、流石に今日はコートを着込んでいる。
男はコートを脱ぐと、カウンター席に腰掛け長い脚を組んだ。
店内のテーブル席は空いているが、男はあえてカウンターに腰掛ける。

「…いつもので?」
「…Yeah.」

短く交わされる言葉。
元親は手際良く珈琲を淹れる。
嗅ぎ慣れた珈琲の薫りが、男の心に安らぎを与える。

男はカフェ近くの大手企業のシステムエンジニア。
その仕事柄、深夜残業が当たり前になっている。
毎日この時間にカフェを訪れるのは、眠気を覚ますのと同時に、疲れた体と心をリセットする為である。

オフィス街には深夜営業のチェーン店のカフェも多い。
だが、あえてこの店を選ぶのは、珈琲が旨いという理由だけではない。
マスターの元親は、決して愛想は良い方ではない。
だからといって仏頂面な訳でもない。
饒舌でもなく、寡黙でもない。
問い掛ければ答えてくれるし、人恋しいと思えば絶妙なタイミングで話し掛けてくる。
様々な事に詳しく、話題も豊富だ。
そんなマスターと過ごす時間が、心地良いからだった。

「お待たせ。」

コトリとカウンターに置かれる洒落たカップ。
ブルーマウンテンの芳醇な薫りがフワリと薫る。
砂糖もミルクも入れないのは、珈琲本来の味を楽しみたいからだ。
ブルーマウンテンの薫りを楽しんでから、カップに口を付けた。
カフェインが眠気を飛ばす。
この瞬間が心地良い。
ポケットからキツめの煙草を取り出し咥えると、zippoで火を点けた。
ブルーマウンテンの苦味と煙草の風味が醸し出すハーモニーが、心と体を優しく癒やす。
男は紫煙をフッと吐き出しながら、窓の外を見つめた。

「…降ってきたか。」

男はポツリと呟く。
マスターも皿を洗う手を止めて、窓の外に目を遣る。
通りにはチラチラと大粒の雪が舞い落ちている。
人通りも少なくなってきた通りを見つめながら、穏やかな口調で言葉を返す。

「こりゃ、積もるかもしれねェなァ…。」
「…そうだなァ。」

男はトンと灰を灰皿に落とすと、再びカップに口をつける。
一口飲み終えた頃、マスターが男の方へ向き直り告げた。

「朝起きたら、一面白銀の世界だったりしてな。」

マスターがそう呟くと、男はその表情にハッとした。
長い銀色の髪から覗く表情は、少年の様だった。
どちらかと言えば強面なマスターが見せた意外な表情に、心を鷲掴みにされた男。
それを気取られない様に、男は深く紫煙を吐き出しながらいつも通りの口調で告げた。

「…そんなromanticな景色、一人で見るにゃ勿体無ェ。」
「はっは、そりゃ確かに。」

カラカラと笑いながらマスターは言った。
無邪気な表情を見ているうちに、男は暫く忘れていた感情を思い出した。
自嘲気味にフッと笑うと、窓の外に再び目を移した。

窓の外の雪は、どんどん強くなる。
通りを歩くサラリーマン達は皆、足早に家路を急ぐ。
マスターはさり気なく時計を見遣ると、棚からパンの入ったケースを手にして男に問い掛けた。

「テイクアウトはいつもので?」

男は帰り際にいつもローストビーフサンドをオーダーする。
オフィスに戻ると、長い残業に備えてそれを夜食にするのが定番なのだ。

「…いや、今日は違うので。」

コートを羽織りながら、男は答えた。
そして左の瞳にマスターだけを映し、言葉を続ける。

「マスター一つ。」

射抜く様な眼差しと甘く低い声が、マスターを貫いた。
うっすらと積もり始めた雪を溶かし尽くす様な男の声に、マスターの胸にも暫く忘れていた感情を呼び起こした。
フッと短く笑い、男に問い返す。

「…砂糖とミルクは付きませんが、宜しいでしょうか?」
「余計な飾り物はいらねェ。アンタだけ楽しみてェ。」

男はそう告げると、カウンターから身を乗り出した。
スッと手を伸ばしマスターの顎に指を掛け引き寄せ、形の良い唇に口付ける。
触れるだけのキスは、角砂糖よりも甘く。
二人の胸をときめかせた。

「お客さん…」
「政宗でいい。」
「あー…政宗?」

少し恥ずかしそうに名を呼んだマスターに、男は告げる。

「アンタ見かけに依らずウブだな。」
「ンな事ねェ!」

すかさず言い返すが、頬はほんのりと赤い。
見かけとあまりにも違う反応に、男は思わず吹き出した。

「ククッ…そういやマスター…」
「元親でいい。」
「Ah…元親、何か聞きたかったんじゃねェのか?」

マスターは何かを思い出したかの様に、男に問い掛けた。

「今日は残業じゃねェのか?」
「…今日はやめとく。」
「…あン?」

自分の都合でそうも予定を変えられるのかと疑問に思ったマスターは、短く問い返した。

「その分来週やればいいだけだ。」
「へェ…」

思い描いていたサラリーマンの日常とは異なる答えに、マスターは少し驚いたようだ。
そんなマスターに、男は穏やかに言葉を投げ掛けた。

「…白銀の世界を一人で見るのも寂しいだろ?」

男がフッと笑いながら答えると、マスターは言葉を返した。

「…確かに勿体ねェ。」
「…だろ?」

二人は顔を見合わせて笑う。
雪はますます大粒になり、窓から見える景色は白い羽が舞う様に幻想的だ。
白に支配されつつある窓の外の風景からマスターへと男は視線を戻す。
マスターを射抜く様な眼差しで見つめながら、男は問い掛ける。

「…Your answer?」
「Of course, it OKs.」

予想外に返ってきた英語での答えに、男はフッと笑って告げる。

「…色々知りたくなってきたわ。」
「はっは、雪見の肴にでもするか?」
「そいつはいいな。」

顔を見合わせて二人は笑う。
そして今日は出番のなかったパンの入ったケースをしまうと、マスターはカウンターから出てきた。

「…ちょっと待ってな。店閉めてくる。」

男はスーツには似合わないハードな腕時計に目を遣る。
時刻はPM8:55。
カフェの閉店時間までにはまだ僅かながら早い。

「まだクローズには早いぜ?」

男が問い掛けると、マスターは悪戯な笑みを浮かべ答えた。

「いいんだよ、こんな雪だし。それに…」

一旦言葉を切ったマスターは、店の外の看板をしまい込む。
『Closed』と書かれたプレートを入口に下げると、言葉の続きを紡いだ。

「…政宗と雪見してェしな。」

そう告げるとマスターはカフェエプロンを外しながら店の奥へと消えた。
マスターの姿が見えなくなったのを確認した男は、内心ホッとしていた。
マスターの言葉に柄にもなく顔が熱くなるのを感じていたからだ。

「…らしくねェ。」

男が誰に言うでもなくそう呟いた時、私服に着替えたマスターがダウンジャケットを手にして戻ってきた。

「…どうした?」
「いや、なんでもねェ。」

男が苦笑いしながら答えると、マスターはポケットに手を突っ込んだ。

「…まぁいいさ。後で聞き出してやるよ。」

そう言いながらジャラリとキーチェーンを取り出し、畏まった口調で男に問い掛けた。

「…お客様、雪見はどちらでなさいますか?」
「そうだなァ…マスターのお任せで。」
「…畏まりました。」

どちらからともなくプッと吹き出した。
暫く笑い合った後、マスターは男の背中をポンと叩いて告げた。

「…じゃあ、ウチで取って置きのディナーってのはどうよ?」
「All right.」

マスターが明かりを消すと、二人は店を出た。
通りに出ると、はらりはらりと大粒の雪が舞い踊っていた。
この侭降り続けば、マスターが言った様に朝起きたら一面白銀の世界だろう。
白に支配された真っ白な世界を、信号のLEDの光が優しく彩る。
男にとって通い慣れたその通りも、今日はいつもと違って見えた。
雪化粧を纏っているせいだろうか?
それもあるかもしれない。
だが、いつもは一人で歩く道を二人で並んで歩いているという事が、違う景色に見える理由なのだろう。
少し斜め上を男は見遣る。
銀色の髪が雪景色に溶け込む様に、思わず見とれる。
男の視線に気付いたマスターは、穏やかな笑みを浮かべて問い掛ける。

「…どうした?」

男は自嘲気味にフッと笑う。
そしてマスターに言葉を返した。

「…俺がtakeoutされてるみてェだな。」

傘も差さずに歩く二人の体温を雪は奪おうとするが、心は温かかった。

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