ウラジーミル・マヤコフスキー


ウラジーミル・マヤコフスキー

ウラジーミル・マヤコフスキー(Vladimir Mayakovsky 1893年7月19日生)
 [ソ連・詩人]


 両親共にコサックの出で、グルジアで生まれる。1906年に父親が亡くなると、家族と共にモスクワに移住。そこでマルクス主義文学に傾倒するようになり、またロシア社会民主労働党に加わるようになる。

 1912年に処女詩集『社会の趣味への平手打ち』を出版。1915年にリーヤ・ブリックと結婚。第一次世界大戦では兵役に志願するも断られ軍の自動車学校に勤務、十月革命を目撃し赤軍に参加した水兵を鼓舞する「左翼行進曲」を発表する。

 革命後は風刺劇『奇怪なる喜劇』で好評を博し、共産党のプロパガンダポスターの制作にも関与。評論や映画シナリオも書き、芸術左翼戦線を結成し、ソ連初期の芸術界をリードした。だが、ヨシフ・スターリンが主導権を握ると共に彼も体制に幻滅感を抱き始め、1930年にモスクワの仕事場でピストル自殺を遂げた。

 ソ連末期のグラスノスチに伴い、公式に「自殺」とされてきた死因についてそれを疑い、謀殺ではないかとする議論が巻き起こった。1989年にテレビの討論番組で取り上げられたのをきっかけに、複数の論者がこれを主張した。特にマヤコフスキーの周囲にブリーク夫妻やアグラーノフら、チェーカーやOGPU・NKVDにつながる人物が多数存在したことはこの段階で初めて明るみに出た。これらを受けて、1992年にはマヤコフスキーに関するKGB資料が公開されたり、マヤコフスキー博物館の所蔵していた死亡時の遺品が科学鑑定にかけられたりした(鑑定では自殺説を裏付ける結果が出ている)。加えて、リーリャ・ブリークの回想録やポロンスカヤへのインタビューが公刊されたり、遺児であるエレーナが名乗り出たことで、死に至る晩年の状況が明らかとなった。1994年4月には「マヤコフスキーの死をめぐる円卓会議」が40人の出席者を得て開催されている。
 
 1930年4月14日死去(享年36)


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