ケリー・フォン・エリック


ケリー・フォン・エリック

ケリー・フォン・エリック(Kerry Von Erich 本名:ケリー・ジーン・アドキソン 1960年2月3日生)
 [アメリカ・プロレスラー]


 ニューヨーク州バッファロー出身。鉄の爪フリッツ・フォン・エリックの息子(四男)。血筋を背負い1979年にプロレスラーとしてデビュー。父が主宰する地元ダラスのWCCWを主戦場に、ベテランのアーニー・ラッド、マーク・ルーイン、ザ・グレート・カブキらに揉まれてキャリアを積み、同世代のジノ・ヘルナンデス、キングコング・バンディ、ファビュラス・フリーバーズらとの抗争を通し次代のスター候補として期待を寄せられる。

 1983年1月23日にはミズーリ州セントルイスでハーリー・レイスを破り、NWA世界王者への登竜門とされたミズーリ・ヘビー級王座を獲得。同年3月に全日本プロレスに初来日している。

 1984年5月6日、テキサス・スタジアムでの兄デビッド・フォン・エリックの追悼興行においてリック・フレアーを撃破、第67代NWA世界ヘビー級王者となる。同年5月、王者として全日本プロレスに来日。5月22日に東京でジャンボ鶴田の挑戦を退けるが、5月24日の横須賀で前王者フレアーに敗れて王座から転落した。1985年10月からは新日本プロレスに来日する様になり、兄ケビンと組んで藤波辰巳&木村健吾のWWFインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。翌年には前田日明とのシングルマッチも行われた。

 1986年6月、オートバイ事故を起こし右足を切断する重傷を負う。一時は再起不能とされたが、義足を付けて1987年に奇跡的にカムバックを果たした(しかし、この事故によりペインキラー依存症となる)。

 カムバック後の1988年には本拠地のWCCWにおいて、NWAアメリカン・ヘビー級王座の後継タイトルであるWCWA世界ヘビー級王座を獲得。以降、当時のAWA世界ヘビー級王者ジェリー・ローラーと、王座統一を賭けた「テキサス対テネシー」の抗争を繰り広げた。1990年夏よりWWFに参戦。8月27日のサマースラムではミスター・パーフェクトからインターコンチネンタル・ヘビー級王座を奪取した。WWFには1992年まで所属し、退団後はテキサスのインディー団体を転戦した。

 1993年、コカインの使用により起訴される。他のドラッグ使用による執行猶予中だったこともあり、2月18日に実刑を伴う有罪が確定。同日、自宅において(当所では有罪が確定した人物には1日の執行猶予が与えられる)ピストルにより自らの命を絶った。2009年4月、フォン・エリック・ファミリーの一員としてWWE殿堂に迎えられた。

 1993年2月18日死去(享年33)


<<重要なお知らせ>>

@peps!・Chip!!をご利用頂き、ありがとうございます。
@peps!・Chip!!は、2024年5月末をもってサービスを終了させていただきます。
詳しくは
@peps!サービス終了のお知らせ
Chip!!サービス終了のお知らせ
をご確認ください。



w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ