ノエル・ミュートン=ウッド


ノエル・ミュートン=ウッド

ノエル・ミュートン=ウッド(Noel Mewton-Wood 1922年11月20日生)
 [イギリス・ピアニスト/作曲家]


 オーストラリア・メルボルンに生まれ、14歳までメルボルン音楽院に学ぶ。ロンドンの王立音楽院で研鑽を積んだ後、イタリアにおいてアルトゥール・シュナーベルの薫陶を受ける。1940年3月にロンドンに戻り、クィーンズ・ホールにてトマス・ビーチャム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団との共演でベートーヴェンの《ピアノ協奏曲 第3番》を演奏してデビューを果たす。その後はフランスやドイツ、南アフリカ、トルコ、ポーランド、オーストラリアで演奏旅行を行なった。

 ミュートン=ウッドは、ベンジャミン・ブリテンのサークルの一員として、国内外の同時代の音楽に心を開いたピアニストであった。そのためシューベルト、シューマン、リストといったドイツ・ロマン派音楽から、チャイコフスキーの《ピアノ協奏曲 第1番》や《第2番》、《協奏的幻想曲》、《ピアノ・ソナタ ト長調》、ブゾーニの《対位法的幻想曲》や《ピアノ協奏曲》、ヒンデミットの《ルードゥス・トナリス》、マイケル・ティペットの連作歌曲集《心の平和(The Heart's Assurance)》に至るまで、古今の、どちらかといえば珍しいレパートリーに積極的に取り組んだ演奏家であった。また、アーサー・ブリスの《ピアノ協奏曲》の擁護者であったことから、作曲者からピアノ・ソナタを献呈されている。

 作曲家としては、室内楽曲やピアノ協奏曲、バレエ音楽のほかに、1944年の映画「Tawny Pippit」の音楽も作曲した。

 ブリテンやピーター・ピアーズと親しかったことから、ミュートン=ウッドも自ずと同性愛に傾倒した。31歳のとき友人の死に衝撃を受け、それから自責の念に苛まれ、ついにはシアン化水素を服毒して自殺を遂げた。ミュートン=ウッドはゲイであり、愛人に先立たれたばかりでうつ病になっていたと言われている。

 1953年12月5日死去(享年31)


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