ブルーノ・シュルツ


ブルーノ・シュルツ

ブルーノ・シュルツ(Bruno Schulz 1892年7月12日生)
 [ポーランド・作家/画家]


 シュルツは、ポーランド東南部ガリツィア地方の小都市ドロホビチに生まれた。シュルツは終生この街を離れることなく、その50年あまりの生涯の間、オーストリア・ハンガリー帝国、ポーランド、ソビエト連邦、ナチス・ドイツと目まぐるしく占領国の変転を被った街と運命をともにした。

 1914年に第一次世界大戦が勃発し、シュルツ一家はウィーンに疎開。1915年にドロホビチに帰るが、同年に年老いた父が死去。1924年から契約教師としてドロホビチのギムナジウムで美術を教える。兄のイジドルはルヴフの石油会社の支配人であったが、1935年に心臓病で急逝する。その後、シュルツは一家の大黒柱として精神病を抱えた姉の家族を支えなければならなくなる。1933年に出版した短編集『肉桂色の店』も一部の作家たちから高い評価を得たものの、家計の足しにはならず、シュルツは終生、貧困から抜け出ることができなかった。

 1941年にドロホビチはナチスに占領され、ユダヤ人たちはゲットーに追いやられるが、幸いシュルツは芸術を愛好するゲシュタポ将校からお抱えの画家として雇われ保護された。1942年、たまたまパンの配給を受け取りに行く途中、ゲシュタポたちが「野蛮作戦」と名づけた無差別なユダヤ人殺戮の実行に遭遇し、ゲシュタポの一人に路上で射殺された。

 1942年11月19日死去(享年50)





w友達に教えるw
[ホムペ作成][新着記事]
[編集]

無料ホームページ作成は@peps!
無料ホムペ素材も超充実ァ