小尻知博


小尻知博

小尻知博(こじりともひろ 1957年12月12日生)
 [新聞記者]


 広島県生まれ。幼い時からよく読書をする少年で、「大きくなったら偉い人になって小尻家の名を挙げてくれよ」と言われ育った。小学3年の時、新聞係になり壁新聞「たけのこ新聞」を作った。この頃「僕は将来、新聞記者になるんだ」と話す。社会科の問題追求、国語読解はクラスで飛び抜けて優秀だった。詩、読書感想文などで朝日新聞社、中国新聞社などの賞を取った。1973年、大阪府立泉北高等学校に進学した。映画研究部に所属し、脚本執筆、演出など映画製作に没頭した。1977年、立命館大学法学部入学。1978年12月、朝日新聞京都支局アルバイトに採用された。1982年4月、朝日新聞入社、盛岡支局に配属される。1985年3月、阪神支局への異動の内示があった。支局から歩いて1、2分のところに新居を構えた。阪神支局に移っても、町ダネ記者としての取材が続いた。

 1987年5月3日午後8時15分、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局に、黒っぽい目出し帽の男が無言で2階編集室に入り、小尻知博記者と42歳記者に向け散弾銃を発射した。小尻は翌5月4日に失血死(殉職により記者のまま次長待遇昇格)。42歳記者は右手の小指と薬指を失った。犯人は現場にいたもう1人の25歳記者には発砲せずに逃走した。勤務中の記者が襲われ、死亡するのは、日本の言論史上初めてであった。

 5月6日に時事通信社と共同通信社の 両社に「赤報隊一同」の名で犯行声明が届き、「われわれは本気である。すべての朝日社員に死刑を言いわたす」 「反日分子には極刑あるのみである」「われわれは最後の一人が死ぬまで処刑活動を続ける」と殺意をむき出しにした犯行声明が記されていた。

 事件は、言論弾圧事件として大きな注目を集め、新聞・雑誌等では当時、「表現の自由」に対するテロリズムであるという報道がなされた。警察は精力的な捜査を行ったが、2002年に公訴時効となり、事件は未解決のままとなっている。

 1987年5月4日死去(享年29)


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