小林多喜二


小林多喜二

小林多喜二(こばやしたきじ 1903年12月1日生)
 [小説家]


 秋田県生まれ。4歳で家族と一緒に、伯父のいる北海道の小樽に移住。小樽高等商業学校を卒業後、北海道拓殖銀行小樽支店に入る。1929年に『蟹工船』を『戦旗』に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集めた。だが同時に警察(特に当時の特別高等警察)からも要注意人物としてマークされ始める。『蟹工船』『一九二八年三月一五日』および同年『中央公論』に発表した『不在地主』などがもとで拓銀を解雇され、翌年春に東京へ転居。

 1933年2月20日、共産青年同盟中央委員会に潜入していた特高警察のスパイ三船留吉からの提案により、赤坂の連絡場所で三船と落ち合う予定で、共産青年同盟の詩人今村恒夫とともに訪れた。その待ち合わせ場所には、三船からの連絡により張り込んでいた特高警察が待機していた。小林はそこから逃走を図ったが、逮捕された。同日、築地署で拷問を受け、虐殺された。

 警察当局は翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された小林の遺体は、全身がステッキによる拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。死に顔は日本共産党の機関紙『赤旗』が掲載した他、同い歳で同志の岡本唐貴により油絵で描き残され、千田是也が製作したデスマスクも小樽文学館に現存している。

 1933年2月20日死去(享年29)


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