トニー・ソレイタ


トニー・ソレイタ

トリア・ソレイタ(Tolia "Tony" Solaita 1947年1月15日生)
 [アメリカ・プロ野球選手]


 アメリカ領サモア出身。9歳の時に軍人であった父の仕事の事情により、サモアからアメリカ合衆国のハワイ諸島に移る。1965年にニューヨーク・ヤンキースと契約。1968年9月16日にメジャー初昇格。その後は長いマイナーリーグ生活を経て、1974年にカンザスシティ・ロイヤルズでメジャー再昇格を果たす。その後は、カリフォルニア・エンゼルス、モントリオール・エクスポズ、トロント・ブルージェイズと渡り歩いた。

 1980年に来日し、日本ハムファイターズに入団。主に指名打者として活躍。来日1年目は5番を打ち、打率が.239と低迷するものの45本塁打を放ち、数々の日本記録を残した。大阪スタヂアムでの対南海ホークス3回戦(ダブルヘッダー第2試合)の1回、佐々木宏一郎から3号3点本塁打を左中間に放つと、3回にも同投手から中堅へソロ、5回には三浦政基からまた左中間に3点本塁打、8回藤田学のストレートを右翼スタンドにライナーで入る6号本塁打を放った。6回に死球があったものの、4打数連続本塁打はパ・リーグ新記録。1試合での4打数連続は読売ジャイアンツの王貞治が1964年に記録して以来、16年ぶりの日本プロ野球界タイ記録。この日を境に「打てないポンコツ外国人」から「サモアの怪人」に変身した。9月4日、日生球場での対近鉄バファローズ後期11回戦の9回に柳田豊から32号ソロを放つと、翌日には西武球場での対西武ライオンズ後期7回戦で第1打席から3連発。2日がかりの4打席連続本塁打でシーズン2回の日本新記録を樹立した。

 一方、打てない時は大沢啓二監督が「あれだけ当たらんもんかな。見ているほうが疲れるわ」とぼやくほどとことん打てず、7月4日のロッテオリオンズ戦(川崎球場)で、いきなりプロ野球記録に並ぶ1試合5三振を喫したこともあった。3点本塁打が多かったことから“ミスター3ラン”とも呼ばれている。

 翌1981年には4番を打ち、打率.300、44本塁打、108打点という素晴らしい成績を残し、本塁打王と打点王の二冠に輝き、同期入団のトミー・クルーズと共に日本ハムの19年ぶりとなるリーグ優勝の立役者となった。1982年には指名打者部門のベストナインを受賞、1983年まで4年連続30本塁打以上を記録。1983年限りで退団して現役を引退。

 故郷のサモアへ帰ると公務員となり第2の人生をスタートさせる一方、熱心な野球への支援をし数多くの後輩を育てていた。

 1990年2月10日、土地取引のトラブルに巻き込まれ、路上で住民の手により銃で射殺された。

 1990年2月10日死去(享年43)


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