ポール・ジェゴフ


ポール・ジェゴフ

ポール・ジェゴフ(Paul Gegauff 1922年8月10日生)
 [フランス・脚本家/小説家]


 フランスのアルザス地域圏オー=ラン県に生まれる。同県のミュルーズ、スイスのバーゼルの学校で教育を受けた。1940年、18歳のときに著書『バーレスク』を執筆、刊行した。1948年、26歳のころ、フランスの首都パリで、モーリス・シェレール(のちのエリック・ロメール)らと「シネクラブ・デュ・カルティエ・ラタン」を設立した。ここでのちの映画監督のクロード・シャブロル、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェットらと出逢う。1950年、ロメールとともに脚本を執筆し、ロメールが監督しジェゴフが出演した短篇映画『ある悪党の日記』を撮影する。その後、小説家として活躍する。

 1959年、ロメールの監督する初の長篇劇映画『獅子座』のダイアローグを書き、同年、シャブロルの長篇劇映画第2作『いとこ同志』のダイアローグを書き、映画の脚本家としてデビューする。『いとこ同志』は同年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。以降、シャブロルの監督作品には欠かせない脚本家となる。1960年、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の映画『太陽がいっぱい』を脚色し、ダイアローグを書いて、1962年のエドガー賞最優秀外国映画賞を受賞した。1965年には自らが脚本を執筆した映画『退き潮』で、監督としてデビューしている。同作には、フランコ・ファブリッツィ、セルジュ・マルカン、ミシェル・シュボールのほか、映画監督のロジェ・ヴァディムが出演した。

 1975年、自らがオリジナル脚本を執筆したシャブロル監督の映画『お楽しみ』に当時の妻のダニエル・ジェゴフ、娘のクレマンス・ジェゴフとともに主演している。ダニエルとはその後離婚したが、1983年12月24日、ノルウェーのオップラン県ユーヴィクで、二人めの妻に刺し殺されて、死去した。突然の死であり、すでに脚本を仕上げていた作品が没後公開された。1985年には、アラン・ジェシュア監督作品『ピンク・フランケンシュタイン』で、ポルト国際映画祭最優秀脚本賞を没後受賞している。

 1983年12月24日死去(享年61)


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